
第11回平和・協同ジャーナリスト基金賞~
受賞の皆さんのスピーチ~
沖縄タイムス編集委員 屋良 朝博さん
神奈川と共同企画で
ずっと沖縄の基地問題を担当していますが、今も解決していない問題があり、今回の受賞をどう受ければよいのか迷いました。基地問題は現在進行形で、さらに厳しい状況になると思っています。基地問題、沖縄という一地方の問題ではないという思いを抱いています。は昨年、普天間飛行場から飛び立ったヘリが大学構内に落ちるという事件がありました。当然、うちの新聞は、1面トップで、社会面でも特集したのですけれども、全国紙を見ますと、1面トップはオリンピックの記事で、4番目にこの事件が取り上げられていました。基地問題は沖縄の専売特許になっているのです。
今回、神奈川新聞と一緒にやることになり、比べてみると、違いもあるのですが、根底に共通するところがありました。また、沖縄の記事がそのまま神奈川新聞に載ることになり、共同企画をやってほんとうによかったと思います。
賞をいただけてうれしく思っております。
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神奈川新聞報道部長 中村 卓司さん
地元無視の基地再編
賞の趣旨をお聞きし、その賞をいただけて、ほんとうによかったと取材班を代表してお礼を申し上げます。
基地再編問題は06年の3月に最終報告が出るということで、神奈川にとっては基地負担の軽減だと言われておりますが、実は逆で、キャンプ座間に司令部が来ること、降ってわいたような原子力空母の横須賀母港化などが日米両政府によって地元無視で合意されてしまったのです。神奈川にとっては厳しい状況です。
しかし、賞をいただき市民の方々が背中を押してくれたと感じ、神奈川新聞として平和のDNAを社内に残しておくきっかけとなりました。
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毎日新聞編集局総務 藤原 健さん
8月ジャーナリズムを超える
ここに立ち運命の糸のようなものを感じます。と申しますのは「60年をどう考えるか」のテーマで1泊2日の合宿をしたのが日本青年館でした。私を含め取材班全員は戦後生まれで、この企画に参加した記者は百人を超えています。合宿の時も北海道から沖縄まで40人近くの人が集まりました。
合宿で掲げた一つが「8月ジャーナリズムを超えよう」ということでした。沖縄戦から始まって8・6、8・9、8・15までがジャーナリズムの恒例で、われわれもそうでした。でも8月が終わっても続けようということでした。
私は長年大阪にいたのですが、東京都民が10万人も殺された東京大空襲について東京の新聞は冷たいという思いから、このシリーズを3月10日の東京大空襲から始めました。
記事の反応の大半は感謝の言葉でした。それから天皇の戦争責任はどうなったかとの質問もありました。そのことから、このシリーズは年を越えてもまだ続けます。コンセプトは60年前を今に生かすということです。60年前がどう今につながっているのか、それを考えるのが私たちの責務だろうと思います。
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女優 斉藤 とも子さん
「きのこ会」との出会い
7年前に井上ひさし先生の「父と暮せば」という原爆被爆者の娘役をやらせていただいたことがきっかけで広島と深く関わるようになりました。私がお会いした被爆者の方は明るく、生き生きと輝いて見えました。あんなに大変なことがあったのに、どうしてこんなに生きられるのだろうと、私の広島通いが始まりました。
2年ほど前「きのこ会」という原爆小頭症の親子の会に出会いました。小頭症患者はお母さんのおなかの中にいて原爆に遭い、知的障害や発育障害を負われた方々です。
親もまた原爆症を負いながら、障害は自分のせいだと自分を責め、20年間ひっそりと暮らしておられました。あるジャーナリストが発掘したことによって、初めて同じ仲間がいることを知って、「きのこ会」を結成し、みんなが力を合わせて歩き始めたのです。最初6家族から始まり、今は18家族で続いています。その記録を読み、こういう人たちが生きていたことを残しておきたいと、大学院にいたものですから、論文というかたちで書きました。
担当して下さった教授が出版社を紹介して下さり、本にしました。この賞は、「きのこ会」にいただいた賞なので、みなさんに報告します。
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信濃毎日新聞社報道部次長 伊藤 隆さん
残留孤児が日本一多い長野県
これは、4人で取材しました。
長野県は戦時中に沢山の満蒙開拓団を出したのですが、残留孤児や残留婦人が最も多い県です。また帰国して住んでいる人も最も多い。そこで帰国してからの生活や、現在、中国との関係をどう考えているかを、捉え直そうと始まった企画でした。
残留孤児問題で裁判なども起きていますが、2世、3世で中国へ行き事業を展開している方が沢山おられます。中国へも足を伸ばし、お話を聞きました。そして歴史を踏まえ、今の日中関係は何だろうかを考えました。
賞をいただき、改めて地域での協同という観点から中国との関係に光を少し当てることが出来たと感じています。
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フォトジャーナリスト 鈴木 賢士さん
3回捨てられた残留孤児
本物のピューリッツア賞をもらったほどの感激です。8年前からの定年カメラマンで、この間、4回写真展をやり、4冊の本を出しました。
60年前、敗戦と同時に捨てられた人たちとの出会いが写真を撮るきっかけでした。ある残留孤児の家で板きれに父母(ちちはは)の霊と書いてありました。自分は誰の子か皆目分からないのです。2500人の孤児のうち、身元が分からないのは、7割と言われています。
この人達は3回捨てられました。1回目は満州で、2回目は戦時死亡公告の名の下に中国残留孤児が大勢残っていることを国は承知の上で、戸籍から抹消した。3番目は日本に帰ってきてからの扱いです。千葉県の県営住宅4階の方は予防注射の失敗で半身が不自由になられた。なぜ1階に住まわせられないのか。日本という国は冷たい国です。
いま帰国孤児の8割を超える人が裁判を行っています。人間の扱いをしないこの国の冷たさのためです。8月15日、霞ヶ関でデモ行進がありました。その途中で「再び残留孤児を生み出すな」というシュプレヒコールが上がりました。
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NPO法人太平洋戦史館事務局長 花岡 千賀子さん
忘るまじ歴史を
1年間5冊の簡単なニュースレターを、450部発送するささやかな活動です。10年間分を本にしました。
ニューギニアは、 日本から5千キロ南です。太平洋戦時で30万人が亡くなりました。当時日本人にされた台湾人や朝鮮の方も入っています。12年前に岩渕宣輝と結婚し初めてニューギニアへ行き、鉄兜をかぶったまま野ざらしの姿を見て、ほんとうにびっくりしました。それから、放置遺体を何とかしてほしい、戦後処理を国がやってほしいと言い続けて、戦史館の活動になっていったんです。
原点となった柱「忘るまじ」は、忘れないで語り続けるということ、2番目は「語り継ごう次の世代へ」。岩手県平泉の少し北の衣川に太平洋戦史館があります。3階建てログハウスの1階だけの展示スペースですが、子どもたちが来ます。この子たちの次の世代が来続けてほしいと思っています。
3つめが、「プラスの国際交流」。ニューギニアの現地は、今でも貧しいんです。地震のとき救急車を贈ったんですが、手続きが複雑で大変でした。これでマイナスの歴史が打ち消されるわけではないけれど、ささやかなプラスではないかと思います。公営化を考えていましたが、結局公営化は断念し、今はNPO法人として歩んでいます。
国は戦争を始めたけれど、平和は私たちが草の根でつくっていくべきだと気づいたのです。
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長崎放送報道部ディレクター 関口 達夫さん
いまは戦争前夜
映像を残したお医者さん、それからその映像を15年前に発掘した先輩の努力によって、ささやかながらこの番組をつくりました。彼らこそ顕彰されるべきではないかと思います。
映像に出てくる兵士たちのうち5人に1人は戦死しています。当時のフィルムは重いものです。それは、いま日本が置かれている状況に重なります。いま、戦争前夜だと感じます。憲法を改正し、自衛隊を海外に送る日が来そうです。そういう時代に対し死者たちは何を語りかけているのか。そういう国にしてはいかんよ、そういう時代にしてはいかんよと語りかけている。
時代を変えることが出来ず無力感を覚えます。でも微力ですが、この賞を励みにがんばっていきたいと思います。
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福井テレビ東京支社 林 大文さん
幸せは国境と関係ない
担当のディレクターが出席できませんので、代理できました。彼のメモを紹介します。
取材対象が北京語と日本語なので、テープを一言も逃さず聴き取るのに苦労した。それから花嫁達の心の動きを第一の背骨とした。そして、国境は関係なく幸せとは何かを感じとってほしいと書いてあります。テレビは実情を見てもらうことが仕事なので、ぜひ見てください。
3年前にも奨励賞をいただき、この賞のことはよく分かっております。今回の受賞を肝に銘じ、こんどは、基金賞をめざしてがんばります。
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