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受賞者のプロフィール 受賞者のスピーチ 選考経過 ノミネートされた作品

受賞者・団体のプロフィール                 
第12回平和・協同ジャーナリスト基金賞~受賞者・団体のプロフィール~(敬称略)

★基金賞 

西谷文和(にしたに・ふみかず)
大阪府吹田市津雲台3-1 A2-401 イラクの子どもを救う会
1960年生まれ 46歳。
1985年から吹田市役所に勤務。04年末退職し、現在フリーで「イラクの子どもを 救う会」代表。
海外への一人旅を趣味とし、これまでコソボやアフガンなどでアメリカの空爆や戦争被害者の実情などを取材し、労組の機関紙や平和のための戦争展などで発表。
イラクへは5回入国にチャレンジし、3回入国に成功。湾岸戦争、そして今回のイラク戦争で、大量に使用された劣化ウラン弾によるものと思われる被害の実態を 取材。日本から人道支援を行う必要があると感じたため、03年12月、イラクの子 どもを救う会を設立。現在は人道支援のNGOと、フリージャーナリストとして戦争 犯罪を告発するという、2つの面の活動を続けている。

★奨励賞

◇浦島悦子(うらしま・えつこ)
1948年 鹿児島県川内市に生まれる。
1991年 「闇のかなたへ」で新沖縄文学賞佳作受賞
1998年 「羽地大川は死んだ」で週刊金曜日ルポルタージュ大賞報告文学賞受賞
現住所 〒905-2264 沖縄県名護市三原193-1
*著書
「奄美だより」現代書館、1984年
「豊かな島に基地はいらない――-沖縄・やんばるからあなたへ」インパクト出版会、2002年
「やんばるに暮らす――オバァ・オジィの生活史」ふきのとう書房、2002年
*共著
「ジュゴンの海と沖縄――基地の島が問い続けるもの」高文研、2002年

◇財団法人第五福竜丸平和協会

連絡所:〒136-0081 東京都江東区夢の島3-2 第五福竜丸展示館内 会長=川崎昭一郎  TEL.03-3521-8494 FAX.03-3521-2900
「東京・江東区の夢の島公園にある都立第五福竜丸展示館は、本年6月開館30年を迎えた。ビキニ水爆実験被災船である第五福竜丸を保存し展示館を建設させたのは、原水爆の禁止をねがい平和を希求する市民と平和のとりくみによってであった。
現在、来館者は年間10万人を超え(小中高校の見学は400校以上3万人)、開館以来、のべ来館者は430万人に達しようとしている。財団法人第五福竜丸平和協会は、この保存のとりくみのなかで設立され、東京都との折衝などを重ね,1976年6月の展示館開館以降は、東京都からの受託事業として 船体の保存管理をおこなうとともに、独自のとりくみとして原水爆被害を伝え,核兵器問題への教育・普及活動を展開してきた。それは、いずれも第五福竜丸船体の展示を中心としながら、原水爆のない未来へのさまざまな発信である」(吉田嘉清氏の基金賞推薦文から)

◇田村洋三(たむら・ようぞう)
1931年、大阪府吹田市生まれ。同志社大学文学部卒。読売新聞大阪本社写真部長、社会部長、編集局次長、編集委員を歴任、1993年、定年退職。現在、ノンフィクション作家。
編著書に「新聞記者が語りつぐ戦争全20巻」(読売新聞社、1985年、第33回菊池寛賞受賞),「ブーゲンビル-墓島」「葛根廟」(新風書房),「実記・百年の大阪」(朋興社)=以上は共著。「野の仏」(浪速社),「アドミラルティ諸島戦」(新風書房),「玉砕ビアク島」(光人社),「怒りの島・沖縄」(大阪読売新聞労働組合),「沖縄県民斯ク戦へリ―大田實海軍中将一家の昭和史」(講談社),「沖縄の島守」「特攻に殉ず―地方気象台の沖縄戦」(中央公論新社)などがある。

◇東京新聞社会部
〒100-8505 東京都千代田区内幸町2-1-4 TEL03-6910-2211 中日新聞東京本社
「戦後生まれが七割を超える今日、あの六〇年余り前のアジア・太平洋戦争の記憶を風化させまいと、一七人の記者が総力をあげて取材。東京大空襲、戦艦大和、沖縄戦、原爆、在韓日本人妻、シベリア抑留……。庶民や兵士の被害・加害の苛烈な体験、壮絶な事実と向き合うところから、『靖国』『日中』等すべての議論は始まらねばならないだろう」(東京新聞社会部編「あの戦争を伝えたい」=岩波書店刊=から)

◇日本テレビ放送網  
〒105-7444 東京都港区東新橋1-6-1 TEL03-6215-2682
「カナリアの子供たち~検証・化学物質過敏症」(放送日:2006年8月14日0時25分~1時20分)
自薦理由=子供たちに今、確かな”異変”が起きている。ごく微量の化学物質にも反応し具合が悪くなる「化学物質過敏症」。子供たちは体だけでなく神経や精神もむしばまれていく。研究調査を行っている専門家らが発症原因とみるのは広範囲に使われている有機リン農薬だ。もともとは毒ガス・サリンの親戚でナチス・ドイツが戦争遂行に開発した技術が今、日本中、いや世界中で広く使われ、子供たちを苦しめている。ガス化した農薬が肺から入ると大人よりも子供の方が発症しやすい。この10年あまり有機リン農薬の無人ヘリによる空中散布が拡大するのと符号して患者数も増加している。散布が行われる夏場には子供たちが医院に駆け込む。
それぞれの地方では,自治体の研究所が原因を調査したり、地元の小学校がこうした子供たちの受け入れに奔走したり、群馬県が他の自治体に先立って”有機リン農薬による無人ヘリの農薬散布を自粛”するなど、問題を深刻に受け止め、苦しんでいる子供たちへの共感・連携に動き出した人たちもいる。しかし国は「因果関係がはっきりしない」と積極的に動こうとはせず,化学物質過敏症を「気のせいの面もある」と冷笑する。子供たちを守るため、私たちに何が出来るのか? 行政のあるべき姿とは? 
それを問いかけるこの番組は、症状に苦しむ患者団体などから強く支持された。私たちの周囲の環境や子供たちの人権を大切にすべきことを静かに訴えている(報道番組部 水島宏明)

◇蓮ユニバース・蟻の兵隊製作委員会
〒151-0063 東京都渋谷区富ヶ谷2-44-10-504 TEL03-5478-6077
池谷薫監督作品 「蟻の兵隊」
「今も体内に残る無数の砲弾の破片。それは『戦後も戦った日本兵』という苦い記憶を奥村和一(80)に突き付ける。かつて奥村が所属した部隊は、第2次世界大戦後も中国に残留し、中国の内戦を戦った。世界の戦争史上類を見ないこの“売軍行為”を、日本政府は兵士たちが志願して勝手に戦争をつづけたと見なし黙殺する。『自分たちは、なぜ残留させられたのか?』真実を明らかにするため中国に通いつづける奥村に、心の中に閉じ込めてきたもう一つの記憶がよみがえる。終戦間近の昭和20年、奥村は”初年兵教育”の名の下に罪のない中国人を刺殺するよう命じられていた。これは、自身戦争の被害者であり加害者でもある奥村が”日本軍山西省残留問題”の真相を解明しようと孤軍奮闘する姿を迫った世界初のドキュメンタリーである」(「蟻の兵隊」のチラシから)

★荒井なみ子賞

古居みずえ(ふるい・みずえ)
1948年、島根県出身。フォトジャーナリスト。
アジアプレス・インターナショナル所属。JVJA(ビジュアル・ジャーナリスト協会) 会員。1988年よりパレスチナのイスラエル占領地を訪れ、パレスチナ人による抵抗運動・インティファーダの取材。パレスチナの人々と生活を共にする中で、特に女性や子どもたちに焦点をあて、取材活動を続けている。93年にはボスニア・ヘルツェゴビナ、98年にはアフリカのウガンダ、インドネシアのアチェ自冶州、2000年、2002年にはタリバン政権下とタリバン崩壊後のアフガニスタンを訪れる。イスラム圏 の女性たちの取材や、アフリカの子どもたちの現状を取材。新聞、雑誌、テレビで発表。

★持続する志賞

吉永小百合(よしなが・さゆり)
東京都出身。1957年ラジオドラマ「赤胴鈴之助」で子役デビューし、1959年「朝を呼ぶ口笛」で映画初出演。以後「キューポラのある街」「伊豆の踊子」「愛と死をみつめて」「男はつらいよ 柴又慕情」「細雪」「夢千代日記」「長崎ぶらぶら節」「北の零年」など111本の映画に出演。次回作は山田洋次監督の「母(かあ)べい」。
1986年より原爆詩の朗読を始め、収録されたCD「第二楽章」「第二楽章 長崎から」
「第二楽章 沖縄から<ウミガメと少年 野坂昭如作>」がビクターエンタテインメントより発売されている。 著書に「夢一途」「旅に夢みる」等。現在TBSラジオ「今晩は吉永小百合です」放送中(日曜22時30分)

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