
第12回平和・協同ジャーナリスト基金~受賞者の皆さんのスピーチ~

西谷 文和さん
フリージャーナリスト
「自己責任」でイラクへ
以前、役所に勤めておりました時、有給休暇をとってコソボやアフガニスタンなどに行き、その写真展をやると褒められました。イラク戦争が起こってイラクにも行き、2回目に入った時、高遠菜穂子さんら3人が捕まってしまった。当時、バグダッドで取材していて、拘束した人たちが小泉首相に3日以内に自衛隊を撤退させろ、でなければ殺すといった時、小泉首相は「テロリストには屈しない」と返事した。それがそのまま現地に流れた。 現地では拘束した人たちをレジスタントと呼んでいた。なぜレジスタントかというと、アメリカの空爆を止めさせるためにやむをえず立ち上がった人たちなので、彼らを区別して考えていました。3人の解放が遅れたのは、首相の無責任発言が原因だったのですが、日本では、自己責任が追及されるという歪んだかたちになりました。
私も帰って来ましたら自己責任の嵐にさらされ、自衛隊撤退を言いますと、地方公務員のくせに国の方針に逆らうのかとか、お前の職場は余ほど暇かと言われたりしました。そして、上司からイラクに行かないか役所を辞めるかどちらかにしてくれと言われ、2年前に退職しました。フリーになりましたので、イラクなどへ行く予定です。
こういう賞をいただき、本当にありがとうございました。

浦島 悦子さん
フリーライター
沖縄に住むヤマトンチュとして発言
昨日、沖縄から来て、温度差を感じているところです。受賞のお知らせをいただいたのが、沖縄知事選挙の翌日でした。
私たちは10年間、沖縄の基地建設はいやだと反対し続けているのですが、残念ながら名護市長や県知事は私たちの願いを聞いてくれません。9年前、名護市民は海上ヘリポートに反対という意思を示したのですが、市民の意思は踏みにじられたままです。私たちはいろんなかたちで反対運動をやってきたんですが、政治に力が届かないと変えることができないのです。選挙は誰かに何かを託すことになるので、違和感を感じていますけれど、市長選挙などにも関わってきました。4月の名護市長選挙も負け、市議選も1票差で次点となりました。知事選も負け、涙に明け暮れていました。
他所ものですが、地域住民の一人としてやっているつもりです。最近、本土での沖縄の報道がたいへん少なくなっています。それで沖縄に住むヤマトンチュとしての責任を強く意識しています。地元の人たちの本当の気持ちが抑えつけられて素直に出せないところがあるんです。それが曲解されて、沖縄の人たちは基地反対より経済発展を選んだとマスコミで宣伝されています。
地元の友だちが「平和のノーベル賞もらった」と、とても喜んでいます。ありがとうございました。

川崎 昭一郎さん
第五福竜丸平和協会会長
30年経過の展示館が受賞
第五福竜丸展示館という建物を管理運営していますが、東京都の資金が入っていて、その受け皿として財団法人となっています。小さな組織で職員も少ないのですが、毎年10万人以上の人が訪れ、運営もなかなかたいへんです。現在ではボランティアの会ができていて、資料の整理とか来館者への説明などしています。船だけでなく核問題などの説明もしています。
今年は、館ができて30年経ち、いろいろな行事をやってきました。その最後にこの賞をいただいたことは、ボランティアを含めて役職員一同、喜んでおります。これからも気持ちを新たに活動に励んでいきたいと思います。
それで、この賞にノミネートされたリストを見ますと、いろいろな分野の方がおられます。 また、今日は第一線で活動しておられるすばらしい方のお話をお聞きすることができ、ありがたく思いました。普段は館の中だけにおりますので、芸術文化分野にも活動拡げたいと努力しておりますが、今日のような会合に出て、第五福竜丸のことを知っていただくと、少し広がった気がいたします。これからもよろしくお願いいたします。

田村 洋三さん
ノンフィクション作家
さとうきびの現実を調査
平和・協同を推進するための、しかも市民の浄財からの賞で、誉められて嬉しい。ありがたく思います。
私は長年読売新聞社の社会部に勤めておりまして、平成5年の連載が最後でしたが、日本人の戦争体験を書き続けました。その時書き切れなかったテーマを退職後も書き続けています。
本土で歌い続けられている「さとうきび畑」の歌が、沖縄ではシラっとした受け取り方をされている。なぜかと調べて見ると、ざわわざわわと風にゆれるほどさとうきびがあったら、私たちは苦労しなかった。海の向こうから戦争がやってきた、と歌われているけれど、戦争は災害ではない、誰かが仕組んだから起きた、というんですね。歌詞が第三者的だというのです。そんなこともあって、さとうきびをベースにした沖縄戦を書いた。
これからも沖縄戦の実相を書いてゆきたい。

菅沼 堅吾さん
東京新聞論説委員(前社会部長)
戦後の長さを刻んでいく役目
いまの若い記者は戦争を知りません。かくいう私もデスクも戦争を知らない。そこで、社会部全体で戦争体験の継承に取り組むことにしました。そこで昨年、戦争体験を伝える連載を3月の東京大空襲からスタートして、12月31日でひとまず終えました。それを岩波書店で本にしていただいたのですが、新聞だけでなく本にすることによって新しい層にも伝えることができたかと思います。
戦後60年が終わったので、次は戦後70年だという声が出ました。いや違う。戦後61年、62年と、戦争が続く限り、戦後の長さを刻んでいくことが新聞の役目であり、ジャーナリストとしての役割だと思ってやっているところです。
この賞をいただいて、70人ほどのメンバーが、まだ平均年齢30数年ですが、みんな喜んでおります。

水島 宏明さん
日本テレビ放送網ディレクター
因果関係が立証できなくても・・
実はこの会場の近くにも化学物質過敏症の方が住んでおられます。緑が多いよい場所ですが、夏には農薬を撒くため、お子さんは外には出られない状況です。有機リン剤によって脳にも障害が出ているのです。
調べて見るとずいぶん深刻な状況が出ています。今までメディアは化学物質の背景を伝えなかった。
有機リン系農薬を地方では8月に一斉に空中散布するので、被害は広範に発生します。先日亡くなられた宇井純さんが、気になるのは化学物質過敏症だと言われました。水俣病でもそうでしたが、被害を過小評価する。因果関係がはっきりするまでは被害は立証できないという構造が、化学物質過敏症にもあります。
映像は、子ども達の姿しか映せなかったのですが、受賞で思いが伝わったかとうれしく思いました。
メディアについてもう一つ言いますと、反対側の言い分をきちんと伝えないといけないという通達が総務省から入る時代です。今回も行政側の意見はぎりぎりのところで載せました。受賞ありがとうございました。

池谷 薫さん
「蟻の兵隊」の監督
記憶殺しに立ち向かう
全国からのカンパに励まされてできた作品です。「蟻の兵隊」は、奥村和一という旧日本兵が戦争とは何かを知ろうと老骨にむち打って中国を歩くという作品で、旧日本兵たちが言っている真理は、戦争は人を殺すことだということ。殺した苦しみから旧日本兵は逃げられない。その意味では、記憶と戦う映画と言ってもいい。
ところが今、この記憶を殺そうとする勢力が目につきます。その記憶殺しに立ち向かっていく作業だった気がします。
この映画が渋谷で11週ロングランしました。「蟻の兵隊を見る会」というボランティアの応援団ができた。そこが公開前にチラシを10万枚つくり配った結果でした。日本で何か声を上げたいという方々の支援によるものです。ありがとうございました。

古居 みずえさん
フォトジャーナリスト
女性ががんばる姿を映像化
病気が治ったのがきっかけで勤めを辞め、カメラを始めました。写真展などもやりましたが、パレスチナに行き、日本人と共通する人情や、女性ががんばっている姿に共感を覚えて現地に居続けたわけです。
13年ほど前からビデオを表現の手段として使い、テレビで放映されたりしました。しかし、中東地域のドキュメントはなかなか受け入れてもらえないのです。私の思いが伝えられるようになったのは、映画というかたちでした。しかし、映画をつくるお金がなかったし、編集も自分でできなかった。でも仲間や多くの方のお力をかりてできたのが今度の映画です。
パレスチナは女性が表に出てこれない国ですが、女性はたくましくがんばっています。パレスチナと言えば戦争の場面ばかりが報道されていて、男性も含めて生活している姿が伝わっていない。本当の姿を伝えたいという思いが認められ、賞をいただきましたことをうれしく思っております。

吉永 小百合さん 女優
<メッセージ>
世界中の戦争終結を祈りながら語り続けて・・・・
この度は、皆さまのお手づくりの素晴らしい賞をいただき、大変嬉しゅうございます。心から御礼を申し上げます。受賞式に出席出来ませんこと、どうぞお許し下さいませ。
20年間、原爆詩の朗読をしてきましたが、これからも、若者や子供たちに語り続けていきたいと思います。そして核兵器が廃絶される日を、心待ちしています。
今年はまた、沖縄戦の物語、野坂昭如さんの『ウミガメと少年』を朗読して、CDにしました。世界中の戦争の終結を祈りながら、自分に出来ることを、粘り強く続けていくつもりです。
止
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