平和・協同ジャーナリスト基金(PCJF)は2022年12月1日、第28回平和・協同ジャーナリスト基金賞を発表しました。推薦や自薦で基金運営委員会に寄せられた候補作品は75点(活字部門32点、映像部門43点)で、運営委員会が委嘱した、有識者からなる選考委員会で審査の結果、受賞者・受賞作品が下記のように決まりました。基金賞贈呈式は、12月10日(土)、日本記者クラブ大会議室(東京・日比谷の日本プレスセンター内)で行いました。
しかし、新型コロナウイルスによる感染の拡大が予想されたため、贈呈式の一般公開は止め、参列者は受賞者とその同行者、審査委員、基金役員、報道関係者のみとさせていただきました。贈呈式の模様はFacebook ライブ配信でご覧いただけます。 アカウントを持ちでない方は以下のサイトでご覧いただけます。お知り合いの方で関心をお持ちの方にお知らせいただければ幸いです。
https://www.facebook.com/PCJFstc/videos/480852894038526/
今年2月にロシアがウクライナに軍事侵攻したので、今年度は、ウクライナ戦争に関する作品が多いのではと予想していましたが、意外にもそうしたことは起きませんでした。その代わり、今年が沖縄の本土復帰50年に当たったため、「沖縄」をテーマとした作品が多数寄せられました。それも、大作、力作、労作が目白押しで、審査委員もどれを入賞作に選んだらよいか迷ったほどでした。
その他、安保問題、核問題、難民問題、人権問題に関する作品が寄せられました。
■基金賞=大賞に選ばれたのは、西日本新聞社社会部取材班の「『島とヤマトと』など、沖縄と本土の関係に焦点を当てた本土復帰50年報道」と、山梨日日新聞取材班の「Fujiと沖縄~本土復帰50年」でした。通例、基金賞=大賞に選ぶのは1点だけなのですが、今年の選考委は、「甲乙つけがたい」として2点を選びました。
両作品に共通していたのは、沖縄問題に対する両紙の取材姿勢が、従来のメディアのそれと異なっていたということです。
西日本新聞取材班は「議論を重ねてたどりついた答えは『沖縄について無関心だった』ということでした。沖縄問題は『沖縄だけの問題』ではなく、『本土を含めた全国民の問題』であるはず。私たちは当事者としての意識を持たずに沖縄を報じてきたのではと考えさせられた」と言い、山梨日日新聞取材班も「山梨県内にも沖縄県の基地問題へとつながる過去があり、まずは埋もれつつある地元の歴史に光を当てることが、基地問題を『自分事』として捉える一歩となると考えた」と言います。 つまり、「沖縄の人たちが直面している苦難は、沖縄だけて解決しろという問題ではない。沖縄を含めた全国民で解決しなければならない問題なのだ」とする両紙の取材姿勢が審査委員の共感を呼び、高く評価されました。
■奨励賞には活字部門から5点、映像部門から2点、計7点が選ばれました。
まず、活字部門ですが、中日新聞読者センター・加藤拓記者の「ニュースを問う『特攻のメカニズム』」は、戦時中の航空特別攻撃隊の実態を徹底的に取材してまとめた長期連載ですが、選考委では、連載を通じて、「個人の生死よりも国家を優先する戦時下の狂気と恐怖、さらにその非人間的な組織の論理が、大企業における品質不正問題や過労死など、現代の日本社会にも根深く流れている」と指摘している点が評価されました。
同じく奨励賞に選ばれた、篠原光・信濃毎日新聞記者の「戦後77年 平和を紡ぐ旅 26歳記者がたどる」も斬新な企画として、審査委員の注目を集めました。26歳という若い記者を、「戦争と平和」の問題が先鋭化している地域(沖縄の石垣島や辺野古など)に派遣して自由にルポを書かせるという企画で、その狙いを、同社報道部デスクは「ウクライナ危機で、いよいよ『戦後』と言えない時代になった今年ならではの反戦企画をやれないかと思った。もう一つの狙いは、若い記者に戦争とは何か、戦争をなくすにはどうすればいいのかを考えてもらうことだった」と話していますが、そうした狙いが見事に実った記事、と絶賛されました。
やはり奨励賞となった高橋信雄・元長崎新聞論説委員長の「鈴木天眼 反戦反骨の大アジア主義」は、明治から大正にかけて、長崎で「東洋日の出新聞」を発行し続けた鈴木天眼の生涯を描いた作品です。本書によれば、天眼は中国の孫文と親交があり、日中が平等互恵の精神で結ばれるべきとする大アジア主義を唱える紙面を精力的に展開しました。さらに、彼は軍国主義に反対し、日本の満州進出を非難し、韓国併合後の現地における日本人の傲慢を憤ったといいます。選考委では「嫌中憎韓の書籍がはんらんする今日、天眼が唱えていた大アジア主義に耳を傾けることも必要なのでは」との発言がありました。
労働者協同組合法が今年10月から施行されました。労働者自身が出資、経営参加し、働く事業体を協同組合として認めようという法律です。日本の歴史に初めて登場した新しい労働形態、新しい協同組合の形態で、日本社会にとって画期的な出来事でした。これには、日本労働者協同組合(ワーカーズコープ)連合会などによる40年余に及ぶ労協法制定運動があり、その中で大きな役割を果たしたのが、同連合会が発行する機関紙「日本労協新聞」でした。その編集長を30年にわたって務めたのが松澤常夫さんで、選考委は「労協法への関心を高め、理解を深める上で、松澤さんがおこなった紙面展開は大いに役に立った」として、奨励賞を贈ることになりました。
奨励賞を受けたフリーランス記者・元朝日新聞記者、宮崎園子さんの「『個』のひろしま 被爆者岡田恵美子の生涯」は昨年4月に亡くなった岡田さんの生き方を紹介したノンフィクションです。岡田さんは被爆者団体に属さず、1人の人間として、多様多彩な方法で核兵器廃絶を世界に訴え続けました。選考委では、「丹念な取材と執筆で、ひたむきに生きた被爆者の思いと活動が活写されている」とされました。
■映像部門で奨励賞となった2点は、NHK沖縄放送局・第2制作センター文化「ETV特集・久米島の戦争~なぜ住民は殺されたのか~」と、Kimoon Film制作の「オレの記念日」(金聖雄監督作品)です。
前者は、敗戦間際の沖縄・久米島で日本兵が住民20人を殺害した事件を取り上げたドキュメンタリーですが、選考委では「当時の戦況、集団心理、差別感情等を描くなど多角的な構成により、この番組を観た人びとに強烈なインパクトを与えた。戦争がいかに空しいものであるかを表現している優れた番組である」と評されました。 後者は、20歳の時に冤罪で殺人犯にされて無期懲役の判決を受け、29年間刑務所暮らしをした後に仮放免され、再審で無罪判決を受けた男性の日常生活を追ったドキュメンタリー映画ですが、「長い獄中生活に負けなかった強い意志力を持った人間像を巧みに表現した力作と言える。今日の日本の司法のあり方を考えさせる作品でもある」とされました。
「沖縄が日本に復帰して半世紀の年に、九州に足場を置く私たちは何を書くべきか―。スクラップをめくり、沖縄の置かれた状況はこの10年間でほとんど変わっていないことを再認識しました。今なお米軍機は普天間飛行場に離着陸し、名護市辺野古への移設を巡る国と県の対立はより深まっています。では、基地問題を通して沖縄の現在を見つめるだけで、『節目』の報道は十分でしょうか。議論を重ねてたどりついた答えは、『沖縄について無関心だった』ということでした。沖縄問題は『沖縄だけの問題』ではなく、国政と密接な関係にある『本土を含めた全国民の問題』であるはずです。私たちは当事者としての意識を持たずに、沖縄を報じてきたのではないかと考えさせられました。この50年で沖縄(島)と本土(ヤマト)の距離感はどう変わったのか。沖縄の何を見て、何を見ないで過ごしてきたのか。さまざまな角度から『島』と『ヤマト』の間にある溝を描き、沖縄について考えるきっかけを読者に提供することを目指しました」
「太平洋戦争後に米軍が富士山麓の北富士演習場に設置した基地『キャンプ・マックネア』など、本土の米軍基地周辺で起きた事件・事故の実態について、被害者や遺族への取材と公的文書に基づき報じた。山梨県内にも現在の沖縄県の基地問題へとつながる過去があり、沖縄の日本復帰50年の節目に、まずは埋もれつつある地元の歴史に光を当てることが、基地問題を『自分事』として捉える一歩になると考えた。県外にも視野を広げ、防衛省への情報公開請求によって、沖縄を除く46都道府県で9352人が被害を受け、本土での反基地運動の拡大などを背景に沖縄への基地集中が進んだことを明らかにした。米軍基地が本土と無関係ではない問題であることを改めて提起し、沖縄への差別や憎悪を煽る言動が繰り返される中で、ヘイトスピーチの実態などについても取り上げた。学校教育や生涯学習を通じて米軍基地を巡る歴史的経緯を学ぶことの重要性も訴えた」
「太平洋戦争末期の1945年6~8月」に、沖縄の久米島で日本軍が住民計20人をスパイとみなして次々と殺害する事件が起きました。今回の番組は、事件から77年を経てまとめられた『久米島町史』(去年発刊)の調査成果を基にしながら、新たな住民証言や、当時久米島にいたアメリカ兵の証言、加害側の日本兵の遺族、さらには被害者の遺族の証言までをつきあわせ、殺害がなぜ起きたかについて多角的に描こうとしたものです」
「……さまざまな証言を突き合わせることで、ただ単に『日本兵が起こした残虐な事件』として提示するのではなく、そこに至る戦況や支配のメカニズムや集団心理、住民の中にあった差別感情なども描き、戦争が何をもたらすのかを重層的に提示できたのではと考えています」(NHK沖縄放送局・第2制作センター文化)
1981年愛知県生まれ。早稲田大学政治経済学部経済学科卒。立教大学大学院史学専攻の博士前期(修士)課程で帰還特攻隊員を研究し、修了後の2007年に中日新聞社入社。金沢整理部、浜松報道部、岐阜・揖斐川通信部、教育報道部を経て名古屋地方部時代の2019年5月より長編コラム「ニュースを問う 『特攻』のメカニズム」を執筆し、20年8月に中日新聞編集局読者センターへ異動後も継続。22年9月までに第8部計36回を掲載してきた。
「20歳の時に布川事件で冤罪により殺人犯とされ、29年間を獄中で過ごした桜井昌司さん。2011年に無罪判決、そして2021年には勝てないと言われ続けた国家賠償裁判での完全勝利など、次々に人生を逆転させていく。2019年には末期ガンにより余命1年と宣告されるも、食事療法などを続け、3年が過ぎた現在も精力的に全国を駆け巡る。桜井さんは、獄中にいた時から多くの詩を書きとめてきた。冤罪により逮捕された日すらも『記念日』にして飄々と前に進み続けるその姿は、閉塞感を抱えながら今を生きる私たちに大切なことを教えてくれる」(「オレの記念日」のチラシから)
2018年に信濃毎日新聞社に入社し、伊那支社に赴任。警察取材、上伊那郡宮田村と伊那市の旧町村部を担当した。
21年春に長野本社報道部社会グループへ異動して戦争・平和の取材を始め、21年夏の終戦企画では長野市のデイサービス施設を拠点に「乾かぬ涙 中国帰国者の76年」を執筆。全職員を中国出身者で占める施設の歩みに寄り添いながら、施設利用者である中国帰国者の老後の孤独や不安をルポした。貧困問題や社会保障もテーマにし、新型コロナ禍における生活困窮者や路上生活者、親やきょうだいの介護などを担う「ヤングケアラー」の問題などを取材している。1995年栃木県生まれ。早大卒。27歳。
1950年生まれ。九州大学経済学部卒。1974年、長崎新聞社入社。原爆平和報道などに取り組み、論説委員長、特別論説委員を経て2016年退職。2002年から14年間執筆を続けた長崎新聞1面コラム「水や空」抜粋のコラム集『信の一筆』1~4を2007年から16年にかけて出版。1990年、「天皇に戦争責任はあると思う」と発言した本島等長崎市長が右翼の男に銃撃された事件現場のスクープ写真で日本新聞協会賞を受賞。2020年、「東洋日の出新聞 鈴木天眼~アジア主義もう一つの奇跡」(長崎新聞社出版協力)で第23回日本自費出版文化賞・研究評論部門賞を受賞。
1948年、神奈川県鎌倉市生まれ。横浜市立大学卒。全学連機関紙「祖国と学問のために」、全日自労機関紙「じかたび」、日本労働者協同組合(ワーカーズコープ)連合会機関紙「日本労協新聞」の各紙編集長を歴任。現在、日本労協連常勤相談役。著書に岩波ブックレット「<必要>から始める仕事おこし 協同労働の可能性」(日本労協連編)など。
1977年、広島県生まれ。高校卒業までを香港、アメリカ、東京などで過ごす。慶應義塾大法学部卒後、金融機関勤を経て2002年朝日新聞社入社。神戸総局、大阪社会部・生活文化部、広島総局で勤務後、2021年退社。現在、広島を拠点に取材・執筆活動を続けている。
平和・協同ジャーナリスト基金は、第28回平和・協同ジャーナリスト基金賞の贈呈式を2022年12月10日(土)、東京・内幸町の日本プレスセンター内、日本記者クラブ大会議室で開催しました。贈呈式は、コロナ禍のため、参加者を受賞者・受賞団体代表の皆さん、基金役員、報道関係者に限り、恒例の祝賀パーティーは取り止めました。
贈呈式では、団体代表と個人の皆さんがそれぞれスピーチをしました。その要旨を紹介します。
●は映像関係、敬称略(カッコ内は推薦者名)
(計75点=活字部門32点、映像部門 43点)