平和・協同ジャーナリスト基金は2024年11月29日(金)、今年度の第30回平和・協同ジャーナリスト基金賞を発表しました。応募・推薦作品74点(活字部門30点、映像部門44点)から入賞作を8点(基金賞=大賞1点、奨励賞7点)選びましたが、基金賞=大賞を受賞したのは信濃毎日新聞社報道部取材班の「連載・鍬(くわ)を握る 満蒙開拓からの問い」でした。
贈呈式は12月7日(土)午後1時から、日本記者クラブ大会議室(東京・日比谷の日本プレスセンタービル9階。地下鉄霞ヶ関駅下車)で開きます。一般の人も参加出来ます。
今年は、ウクライナ戦争やイスラエルとパレスチナ・ハマスの紛争が続いているので、それらに関する作品が多く寄せられるのではと予想していたが、そういうことはなかった。その代わり、アジア太平洋戦争時の日本の状況を回顧する作品が多かった。来年、戦後80年を迎えるので、メディアや国民の目は、80年前の日本と日本人の経験に向かいつつあるように思われた。基金賞への応募・推薦締め切りの直前に日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のノーベル平和賞の受賞が飛び込んできたということもあって、被爆者に光を当てた作品も目立った。
入賞作品への講評は次の通り
今年は、信濃毎日新聞社の奮闘が目立った。何しろ、3つの大作が自薦で寄せられ、選考委員を驚かせた。報道部取材班の「連載・鍬(くわ)を握る 満蒙開拓からの問い」、西島拓也記者の連載「島崎藤村『夜明け』求めて」、上野啓祐記者の「いまぞ織(さか)りつ 被爆と反核の俳人 松尾あつゆき」である。「うわー、3作とも基金賞(大賞)にふさわしい」という声が選考委員から上がったが、一社に3つの大賞をあげるわけにはゆかず、議論の末、報道部取材班の「連載・鍬(くわ)を握る 満蒙開拓からの問い」が満票で基金賞(大賞)に決まった。
この連載は、日本から27万人が渡り、うち8万人が命を落としたとされる満蒙開拓を振り返ったものだが、長野県からの参加者は3万3000人に及び、都道府県別で一番多かったとあって、記者たちの筆は満蒙開拓の全容を総合的かつ緻密に描ききった。選考委員の評は、「これまでの新聞は満蒙開拓に参加した人々を集団として捉える記事が多かったが、信毎の連載は満蒙開拓を経験した個々の人間に経験を語らせている。このため、国策が個々の開拓団員に与えた影響が浮き彫りにされている」「これまでの『満蒙開拓もの』は、『日本に引き揚げるまで苦しかった』『ソ連兵や現地の住民に襲われた』と訴えるものが大半。つまり、日本国民は被害者だったという視点だ。これに対し、信毎の連載は日本の『加害』の面にも触れていて、満蒙開拓の真の実相を明らかにしている」といったものだった。
■奨励賞には活字部門から6点、映像部門1点、計7点が選ばれた。
まず、活字部門だが、井上靖史・北陸と中日新聞新聞社報道部記者の「東京都が非公開としてきた東京大空襲の証言映像に関する報道」が選ばれた。
1945年3月15日の、米軍による東京大空襲では一夜にして10万人が亡くなった。1990年代に東京都が1億円以上を投じて空襲体験の証言映像(ビデオ)を制作したが、なぜか非公開となった。東京新聞社会部にいた井上記者は都と交渉したり、ビデオの収録に応じた証言者に語らせるなど、紙面でキャンペーンして、ついに今年2月に証言映像が公開された。選考委では「粘り強い取材は顕彰に値する」とされた。
同じく奨励賞に選ばれた、宇城昇・毎日新聞社会部専門記者は、核兵器廃絶運動における長年の健筆が評価された。広島で生まれ、広島支局次長、広島支局長を務めたこともあってヒロシマに詳しい。今年も広島の被爆建造物・陸軍被服支廠の保存問題や、広島の詩人・画家であった四國五郎に関する執筆が印象に残る。日本被団協のノーベル平和賞受賞を報じた10月12日付毎日新聞朝刊では、宇城記者が受賞の意義を書いた記事が一面に載った。原爆の惨禍を体験した人たちの記録「ヒバクシャ」は毎日新聞社が社をあげての企画報道で、18年続いており、今春で500回を超えた。その中心にいるのが宇城記者だ。
もう1人、朝日新聞大阪本社社会部の花房吾早子記者も「核兵器廃絶運動に関する一連の報道」で奨励賞を受けた。核兵器廃絶運動関係の取材は未だ短いが、今年がビキニ事件(1954年3月に太平洋のビキニ環礁で行われた米国の水爆実験で、第五福竜丸の乗組員やマーシャル諸島の島民が被ばくした事件)から70年に当たるため、花房記者は3月にマーシャル諸島に渡り、水爆実験による後遺症に苦しむ島民を報道、注目された。
日本被団協のノーベル平和賞受賞に当たっては、被爆者運動の原点には。「原爆投下は国際法違反」と断罪した三淵嘉子らの「原爆裁判」があった、と書いた。
隈元浩彦・毎日新聞熊谷支局記者の「関東大震災虐殺を巡る一連の報道」選考委員の注目を集め、すぐ奨励賞に決まった。
隈元記者が2022年から毎日新聞埼玉版(県版)で力を込めて書き続けたのは、1923年の関東大震災の折りに、埼玉県北部で自警団による朝鮮人虐殺があったという事実である。本庄、上里、熊谷、寄居などで約200人が犠牲になったという。隈元記者の取材は広く、深く、しかも徹底的で、これまで隠されていたこと、忘れられていたことが明らかになって行った。さらに、東京、横浜の朝鮮人虐殺は軍隊・警察が主導したのに対し、埼玉は自警団の主導の民衆犯罪だったことが分かったという。隈元記者の記事は、なぜこんな悲劇が起きたか解明してれる。県版の奮闘ぶりにさわやかさを覚えた。
奨励賞になった吉永直登さんの「忘れえぬサイパン1944――日米兵と民間人の目で描いた戦いの真実」は、アジア太平洋戦争の末期に玉砕したサイパン島の歴史を書いた力作である。
この本を書くに当たって、吉永さんはサイパンを訪れて取材したほか、サイパン戦について書かれた本に可能な限り目を通し、米国からもサイパン戦に関する多くの本を取り寄せた。サイパン戦の真実を明らかにするには、集められる限りの日本と米国の資料に目を通そうとしたわけである。そうした手法を反映して、本書の記述は極めて客観的であり、納得がゆく。著者は、「おわりに」に書く。「サイパンを含め太平洋戦争の史実は、そのどれもが日本、日本人が決して忘れてはいけないことのはずだ」
奨励賞受賞の最後は、琉球新報統合編集局暮らし報道グループの「『歩く民主主義100の声』と『国策と闘う』」である。同グループよれば、『歩く民主主義100の声』は、県民投票の民意に反した辺野古新基地建設や軍事要塞化が進められる中、世論調査の数字だけでは表すことのできない沖縄の住民の声を丁寧に示していくことを目指した企画という。主に街頭で無作為の100人から話を聞くという手法だ。『国策と闘う』では、過去に住民の力で国策を撤回に追い込んだ取り組みを紹介したり、国側の情報戦によって中傷されている市民活動をめぐる実像を伝えたりして、住民のあきらめを狙うような国の強権ぶりに対抗し、地方自治や住民の主体性を回復することを目指す。選考委員の1人は「軍事化が進む沖縄で新たに生まれた、斬新な取材方法だ」と称えた。
■映像部門で奨励賞となった1点は、笠井千晶監督のドキュメンタリー映画「拳と祈り―袴田巌の生涯―」である。47年7カ月にわたって獄中生活を強制された袴田さんも、冤罪にとらわれなかったら、結婚もし、子どももさずかったであろう。しかし、裁判所、検察、警察が間違った判断をしたことから、袴田さんから人間の尊厳と人間性を奪い、彼を取り返しのつかない悲劇的な生涯に追込んでしまった。この映画は、そうした袴田さんと彼によりそう姉の生活を20数年間にわたって撮影したドキュメンタリー映画だ。
映像関係の選考委員たちは、44点の映像作品の中から、ただ一点、この映画を入賞作品に選んだが、その中の1人は「明日は我が身に降りかかって来るかも知れないという恐ろしさが漂ってくる力作」と推奨した。
2024年度の第30回平和・協同ジャーナリスト基金への応募・推薦は、10月31日をもって締め切りました。その結果、74点の作品が寄せられました。内訳は活字部門30点、映像部門44点です。
●は映像関係、敬称略(カッコ内は推薦者名)
活字部門30点 映像部門44点