第24回基金賞受賞者のスピーチ

2018年12月8日、日本記者クラブで

 平和・協同ジャーナリスト基金は2018年12月8日(土)、東京・内幸町の日本記者クラブ大会議室で第24回平和・協同ジャーナリスト基金賞の贈呈式を行いました。基金賞を贈呈したのは以下の4団体と5人です。

◆基金賞=大賞(1点)

琉球新報編集局政治部の「沖縄県知事選に関する報道のファクトチェック報道」

 

◆奨励賞(5点)

★朝日新聞記者・青木美希さんの「地図から消される街」(講談社現代新書)

★アジア記者クラブの一連の活動

★「沖縄スパイ戦史」製作委員会製作のドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」(三上智恵・大矢英代監督作品)

★毎日新聞記者・栗原俊雄氏の戦争責任・戦後補償に関する一連の著作

★中村由一著、渡辺考・聞き書き、宮尾和孝・絵「ゲンバクとよばれた少年」(講談社)

 

◆荒井なみ子賞(1点)

水野スウさん(石川県津幡町)の「わたしとあなたの・けんぽうBOOK」「たいわ・けんぽうBOOK+」(いずれも自費出版)

 

◆特別賞・審査委員賞(1点)

疾走ブロダクション製作のドキュメンタリー映画「ニッポン国VS泉南石綿村」(原一男監督作品)

 

 

贈呈式では、受賞団体代表と受賞者のスピーチがありました。その要旨を紹介します。

基金賞(大賞) 滝本 匠さん

琉球新報社東京支社報道部長

 

民主主義の根幹を守るための報道

  本日は大賞をちょうだいいたしまして、ありがとうございました。 9 月 30 日投開票の沖 縄県知事選挙でネットを中心に、いろいろな 誹謗中傷、デマ、ウソ の情報、いわゆるフェイクニュースと言われるものが出ていることについてチェックしたというのが、この報道の主体です。

 そもそも何でこれをやったのかということについては、いろいろな要因があります。その一つに、もともと沖縄には普天間基地の形成過程についての誤った情報など、事実に反 した話がまんえんしていて、私どもがそれを つぶしにかかっていたということがあります。『沖縄フェイクの見破り方』(琉球新報社編集局)などという本を出させていただくなど、そういう素地があった。

 そういう中で、県知事選では正しい情報で投票してもらわないと、民主主義が成り立たない。間違った情報を信じて人を選ぶというのでは、民主主義の信頼性というか、根幹がゆらぐのではないかと考えたわけです。結局、4本の記事を書かせていただいた。受賞後、こうした取り組みは先進的だねと言っていただき、うれしかった。

 今度の受賞を私たちがネットに書くと、そういうやり方があるのだなと、広く皆さんが 知るところとなり、新聞や放送の世界の中で も「ウチもやってみようか」と思うところが 出てくるかも知れない。ちょっと息苦しい今の状況を何とか変えるような一助というか一石につながっていければなと、期待している ところです。

奨励賞  青木美希さん

朝日新聞記者

 

忘れないで、福島の避難者を

  北海タイムスに入り ましたがつぶれてしまい、北海道新聞に移った。そこに 12 年間いて、朝日新聞へ。入ったとたんに東日本大震災が起こり被災地に入って取材しました。その後、担当が変わって いく中で、避難者の皆さんは大丈夫かな? とずっと心配だった。彼らの生活がどんどん厳しくなっていくのに、彼らに関する報道がどんどん減っていく。「助けてください!」という電話が、朝も夜も鳴る。これはマズイなと思って、周りに理解を求めながら、取材を続けてきた。この7年間の取材を1年半かけてまとめたのが、この本『地図から消される 街』です。

 7年半以上たち、福島はどうなっているの でしょうか?  最新の数字で、震災による避 難者の数は5万4千人以上。なのに、住宅提 供が打ち切られるなど、支援の打ち切りが続 いています。

 どんどん報道がなくなり、避難者が忘れられてゆく。その中で何が起こっているのか? 県外避難者のウツ、不安障害が増えている。こうした中で亡くなる方も出てきている。  看護師をしていた女性が、福島県から子どもと東京へ避難してきた。ダンナさんにはどうして避難するのか理解してもらえず、生活 費を止められた。彼女は働いて子どもたちの 学費を稼ぎますが、働き過ぎで左半身が動かなくなり、仕事をやめざるを得なくなる。加えて、住宅提供が打ち切られ、彼女は自ら命を断つ。震災関連自殺を国が公表しています が今、219 人です。

  この本が賞をいただいたことで、避難者の方にたいへん喜んでいただいた。もっと多くの人に読んでほしい。彼らの苦しみを少しでも分かってほしいと思います。

奨励賞  森広泰平さん

アジア記者クラブ代表委員

 

メディアが伝えないニュース伝える

 アジア記者クラブ(APC)は1992 年に記者クラブ制度に反 対して、フリーランサーを中心に企業メディアの記者たちが合流する形で結成された。

  私が『アジア記者クラブ通信』の編集担当を依頼されてから 15 年になった。ジャーナリズムに関係する団体がいくつもある中で、APCの果たす役割があるのか、独自色を出せるか非常に悩みました。

  1997 年ごろから、インターネット新聞の実験が世界で始まった。これが画期的だった のは、それまで新聞社やテレビ局が独占していた情報源が、一般の読者・視聴者にもさらされるようになったということでした。これ によって、新聞・テレビが報じていない世界 が存在していることが分かってきた。

  つまり、別のニュースサイトができたわけで、それを読んでいくと、日本のジャーナリ ズムの国際報道では伝えられていない情報があまりにも多いこと、とくにアジア近隣諸国 に関する情報が非常に偏っているということ が分かってきた。それが、国内の政治とか情 報を見る目を曇らせていることも分かってきたのです。

  そこで、『通信』は世界のインターネット新聞の記事を翻訳して伝えてきた。非常に重労働ですが、お金がない。ボランティアの協力で続けています。それから、定例会。記者会見の機会のない 人たちをゲストとして招き、発言してもらう。 私どもの意見に賛成する人に限らず、反対する人にも来ていただく。沖縄密約事件で毎日新聞社を追われた西山太吉さん、自衛隊の佐 藤正久・一佐(現参院議員)らにも講演して いただいた。

  やるべきことの10%しかできていない。でも、APCは、今の日本のジャーナリズムの中で非常に公共性のある活動と思っている。若い人や次の世代が引き継いでほしい。

奨励賞  三上智恵さん

ドキュメンタリー映画『沖縄スパイ戦史』監督

 

軍隊は国民を守らない

 このような名誉ある 場に、二度も立たせて いただき、ありがとう ございました。6年前、高江の闘いを撮ったテ レビ・ドキュメンタリー『標的の村』で奨励 賞を受賞した記憶があります。

  その後、テレビから映画の世界に移り、辺野古の闘いを撮った『戦場ぬ止み』(いくさばぬとぅどぅみ)、宮古、石垣に作られようとしている自衛隊基地に反対している人たちを撮った『標的の島 風(かじ)かたか』を作ってきた。これに次ぐ作品が沖縄戦のドキュメンタリー『沖縄スパイ戦史』です。

  日本では今、強いものに守られたいという国民がわんさか出てきてしまった。「米軍で も自衛隊でも何でもいいけど、中国、北朝鮮 がこわいから強いものに守られたい」と大合唱し、それに反対している沖縄の人はワガマ マだとネットでみんなが言っている。しかし、沖縄戦では、日本軍の失策あるいは意図的な策によって、住民が何の罪もないのに何千人単位で亡くなった。それは、軍隊がいたから起きたことなんですね。軍隊の本質とは何か? 軍隊が住民を守らないということは、沖縄戦を学んだ人ならば分かる。このことを知ってもらいたくて、『沖縄スパイ 戦史』を作ったんです。

 沖縄がたいへんだから全国の人に分かってもらいたいという気持ちで作ったことは一度もありません。私は本土の人たちに「沖縄は燃えているかもしれませんが、これは対岸の火事ではなくて、皆さんの服に火がついているということですよ。だから、わざわざこんな映画を作ったんです」と話すんですが、返ってくるのは「沖縄たいへんね。時間があっ たらまた辺野古へ行くわ」。

まるで、他人事です。「あなたの集落のまわりが燃えていますよ!」と言っているのに、「たいへんねー」と言われる、この壁はいったい何でしょう。厳然とした沖縄戦という体験があるにもかかわらず、そこから学ばないで、同じ轍を踏むのであれば、また軍国主義 に飲み込まれてゆきます。

奨励賞  栗原俊雄さん

毎日新聞記者

 

国の弱者切り捨てに怒りを込めて

賞が欲しくて、10 冊目の著書『シベリア 抑留最後の帰還者』(角川新書)で応募したところ、これまで発表した『シベリア抑留』(岩波新書)、『戦後補償裁判』(NHK出版新書)など一連の著書と併せて評価していただいた。ものすごく嬉しいです。

  ぼくがこれまで書いてきたことは、戦争の被害がいかに長く続いているか、戦争被害と いうものがいかにひどいか、国家はいかにいいかげんか、国家がいかに弱者を切り捨てて いるか、ということです。こうした現実に怨念を込め、怒りを込めて書いてきた。今回の 『シベリア抑留最後の帰還者』もシベリア抑留のものすごい悲劇を書いたものです。11年間ソ連に抑留された幹部とその家族を書きました。

  戦争に関する取材を本格的に始めて 15 年 くらいになる。ほんとは政治部に行きたかっ たが、そこへ行けなくて学芸部で戦争報道を始めたのですが、やっているうちに、これは ジャーナリズムにかなったことをやっているのではないかなと思うようになったんです。

ジャーナリズムの重要な役割はまず、権力 者の不正や悪をあばくこと。2番目はそれに 苦しんでいる人に光を当てる。3番目は戦争を絶対に起こさせない。この3つですね。   メディアは8月を中心に戦争報道をするので、「8月ジャーナリズム」とやゆされるのですが、ぼくが一年中「8月ジャーナリズム」をやっているものだから、後輩があだなをつけてくれた。常夏記者。彼は、からかおうとして言ったのですけど、これ、すごく気に入っています。奨励というのはもっとがんばれということでしょうから、こんどは大賞をねらってがんばりたい。

奨励賞 中村由一さん(長崎の被爆者)・渡辺 考さん(NHKディレクター)

 

二重の差別に抗して生きる

渡辺)掛け合いでやりましょう。まず、自己 紹介を。

中村)長崎から来ました。浦上町というとこ ろです。ここに被差別部落があり、しかも原 爆が落ちたところということで、長崎の人たちから指を差されてきました。

渡辺)私から補足させていただきます。今回賞をいただいたのは『ゲンバクとよばれた少 年』(講談社)という児童書です。中村さんがしゃべられたことを私が聞き書きしたというスタイルをとっている。中村さんの半生というか 75 年の人生、とりわけご自身が受けた 被爆者に対する差別と被差別部落出身という 二重の差別をどう克服していったかということを子どもさん向けにまとめたものです。

  私の本職はテレビディレクターで、2016 年の夏、ETV 特集の『原爆と沈黙』で長崎浦上の受難を取り上げ、その中で中村さんにイ ンタビューしたことがベースになっています。浦上には昔からカトリックの方が多く暮らしていたが、町の片隅に被差別部落があった。

  そのことは長崎の住民には知られていても、ジャーナリズムはタブーにしていたようです。で、被差別部落がからんでくるとなかなか取材ができないのではと思って中村さんを訪ねたら、こういうことは語るべきだし後世に伝 えたいということでした。

中村)人からほめられるのは初めて。小学校での私の呼び名は「ハゲ」とか「かっぱ」。自分が受けた原爆の後遺症によって髪の毛がなかったからです。最終的に先生がつけてくれた自分の名前は「ゲンバク」。その名前が私には一番くやしかった。しか し、そのことを、私は母には言いませんでした。言ったら、かあちゃんが学校へ押し寄せてくる恐れがあったから。そんな思いをこの 本に思い切りぶつけてみました。

渡辺)とりわけ小学校できびしいイジメを受 けたとのことですが、最後の仕打ちとして、卒業式の時、卒業証書をみんなに破られたそうです。破られていない賞状をもらってどうですか?

中村)大事に持って帰ります。亡くなった母に報告をしたいと思います。これからも、子 どもたちの前で、「ゲンバク」と呼ばれた思いを語ってゆきたい。

荒井なみ子賞  水野スウさん

エッセイスト

 

憲法を守るには不断の努力が必要

金沢の隣町からやってきました。この賞の存在は前から存じていた。でも、まさか自分 がいただけるとは思っていませんでした。

 毎週水曜日の午後、わが家を開けて「誰でもどうぞ!」という場所、「紅茶の時間」を開 いています。35 年たちました。集まってくる仲間はさまざま。その人たちと「社会のこと、暮らしのことを普通に話そう」と、原発や人 権や安保や憲法のことを語り合い、学びあう場になりました。

  仲間たちの合言葉は 「不断の努力を日々普段から」。これ、日本国憲法 12 条が言っていることです。そこには 「憲法が国民に保障する自由及び権利は、国 民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」とある。3年前に憲法ブックを出し、今年の9月、2冊目の憲法ブックを出した。憲法が9条だけでできているのではないということを、みなさんに知ってほしか ったのです。

  憲法 13 条には「すべて国民は個人として 尊重される」とある。13 条を一番ぶち壊すのが戦争です。その意味から 13 条と9条は対をなすものだと思っています。

  お声がかかれば、どこへでも憲法について話にゆきます。この3年間に全国200カ所ぐらい行かせていただいた。憲法の話をしに行く時、いつも心がけているのは、平らに話す ということ。上から目線で言っても絶対に伝わりません。ある方が「戦争の反対語は対話だ」とおっしゃった。本当にそう思います。 対話している間は殴りあいはできませんから。

 

 

特別賞・審査委員賞

原 一男さん 映画『ニッポン国VS 泉南石綿村』監督

 

日本人のリテラシーが壊れている

  特別賞ありがとうございました。こんなことを話すつもりではなかったのですが、しゃ くなので一つだけ言っておきます。

  試写会をやります。見に来た人たちが見終わったあとインタビュー させてくださいという。その記事を読むと、書いた人の熱っぽさが記事に表れていて、宣伝会社の人からも「取り上げてくれた媒体が多いから、これ、いけるかもしれないよ」と 言われた。こっちもすっかりその気になって ……。でも、見事にコケた。今までの作品の中で最大にコケた。こんなに面白いのになぜ当たらないのだろう? と私は今も考えているのですが、見る人がバカなのである、それが結論です。

  見る側の読み解く能力、リテラシーという言葉を使いますが、日本人全体のリテラシー がすっかり壊れているのではないか。「これ だけ活字媒体で取り上げられた作品だから見 てやろうではないか。見なきゃいけないのではないか」とすら思わないわけですから。映画館に来ない。

 これはもう、どうしようもない。こっちもやけくそになって、何でこんなに苦労して作らなければならないのか? と思うことがしばしばです。でも、実はそこが勝負どころですね。そこでやめちゃいけないのだと。

 私は 1945 年生まれ。日本が戦争に負け、民主主義が生まれた年に私はスタートしたわ けです。私が育ってきた年月と一緒に民主主 義が日本に根づいていったはずなのです。で すが、今こういう時代になって、民主主義が根づいたのだろうか? という根本的な疑問 がある。そんな中でどんな映画を作ればいいのだろうか? と日々考えております。

 

 

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